市川孝典 個展「DELUSIONAL murmur (#003)」

Feb 10, 2024 — Exhibition: Solo
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Gallery COMMONは、2024年2月10日から3月10日まで、市川孝典の個展「DELUSIONAL murmur (#003)」を開催いたします。

DELUSIONAL murmur (#003)」では、線香を用いて日常の記憶を紙に焼き付ける「Scorch Paintings (線香画)」シリーズや、マスメディアとソーシャルメディア文化の中での記憶と疎外感が映し出された「Scrape Works」シリーズの作品を展示し、記憶、儚さ、人との繋がりが織りなす複雑さを飽くなく探求してきた市川の実践を紹介します。

市川のアートの冒険は、波乱万丈な思春期の中で安定を見出そうとする試みから始まりました。日本、アメリカ、ヨーロッパと移り住み、刻々と変化する環境の中で日常の記録をメモや落書きに記し始めます。習慣はやがて強迫的な欲求へと変化し、市川は自分の記憶を正確に描写することのできる完璧な素材と方法を探求し始めます。その果てしない実験から、今回展示される2つのシリーズ、「Scorch Paintings (線香画)」と「Scrape Works」の技法が発見されました。

市川の制作プロセスは、物理的にも時間的にも丹念に対象(モチーフ)や素材と向き合うことで成り立っています。「Scorch Paintings (線香画)」では、火のついた線香で和紙に焦げ跡をつけていきます。しかし、実作業に入る前に、市川は丁寧に時間をかけて頭の中で完全なイメージを作り上げてから、イメージを描き始めます。「Scrape Works」でも、和紙にインクや水彩絵の具、アクリル絵具やパステルを重ねるという工程を経て、最後にその色の積層を削り落とすことで下層のイメージを浮かび上がらせるという重層的なプロセスを取っています。

こうしたプロセスによって生み出されたイメージは、苦悩に満ち、また少し暴力的でさえもある市川の制作を反映しており、そうした姿勢それ自体が市川の根底にあるコンセプトでもあります。自身の制作を「不安を安心に変える作業」と表現する市川は、何気ない日常の記憶が忘却することへの恐怖に対する不安を安心に変えていくために、記憶を作品にしてストックしていくサイクルを繰り返しているのです。

この緊張感は、プロセスそのものだけでなくその痕跡にも表れています。「Scorch Paintings (線香画)」は、紙というメディウムの持つ脆さや灰の残滓を通じて繊細でメランコリーな感覚を呼び起こし、メディウムの中にも内包される破壊と創造、死と生の循環を思い起こさせます。また、生命の儚さとその喪失の恐れの間にある葛藤、もののあわれへの意識と抵抗が作品の原動力となり、市川が描くイメージを形づくっていきます。市川の作品は私たちの現実の基盤となっているような、周辺の何気なく些細なことが描かれ組み合わさっています。作品の中に現れる空白の間には市川が意図的に残した余地があり、鑑賞者それぞれは自身の経験や記憶で補完していくことを促されます。

市川の記憶や体験に基づいて作られた作品が鑑賞者によって補完され、変化していくことで「私と他者との少しの繋がりになり、私の安心となります」と市川は言います。「自分の記憶のなかの、目の端っこでみている、なんでもない日常の風景。「忘れた」っていうことも忘れちゃうモノ。儚いっていうか、苦しいっていうか、そういう何とも言えない不安な気持ちがあって、それをなんとなくモノとして残したかった。僕の記憶がモノになって、そのものがいろんな日常の記憶になって・・・それが循環すると、安心が増える。」※1

市川のこうした思想は、テレビ上の映像が静止ノイズで見えなくなる瞬間やソーシャルメディアの画像が読み込まれる前の瞬間を模して描く「Scrape Works」にも反映されています。「ロード中の画像は、他者と一番近づけた場面だ」「ローディング状態でぼやけているからこそ、アップロードした投稿者の日常とか記憶と、僕の日常の記憶が一番近づく、想像できる。」※2 ほとんどの人が嫌うデータ読み込みの瞬間を永遠化することで、市川は思考を止め、せわしなく過ごしてしまう日々に介入し、思索のための場を提供するのです。即時性と正確さが必ずしもコミュニケーションの理想的なかたちではなく、むしろ、「真に他者へ向き合うためには、まず介入を否定することが前提である」※3 。過度にアクティブなメディア文化の中において、他者と本当に繋がるために必要なのは自身に向き合うための時間であり、そして、市川にとっての「繋がり」は、内省と共感のための場を作り出すプロセスから生まれてくるものなのです。

市川の作品には、私たちの人間的経験を形づくっている、もろく、儚い瞬間をとらえたいという市川の願いが映し出されています。記憶を物質へと翻訳しようとする行為は、何千年もの間、哲学の分野全体を動かしてきた根本的な実存的な問いと呼応します。意識によって自身の存在を確認したデカルトに対して、市川は物質との密で物理的な関係を通して自身の存在確認を見出しているかのようです。市川は、市川にしかアクセスのできない主観的な過去を物理的に記録していくことで、自身の一部を世界に投影し、そのプロセスによって世界と自分を一体化させているのです。

※1 Kosuke Ichikawa, “Interview: Yusuke Nakajima x Kosuke Ichikawa,” ODDS & SODS, Soni.&Co, 2019.

※2 Kosuke Ichikawa, “Conversation: Takahiro Miyashita x Kosuke Ichikawa,” ODDS & SODS, Soni.&Co, 2019.

※3 ビョンチョル・ハン『疲労社会』(2010)(英語版 p.30)

作家から本展に寄せて

古城に忍び込み泊まることを繰り返していた数ヶ月、毎日のように見ていた懐中電灯で照らされたヨーロッパの森。
10代の不安や好奇心や葛藤を懐中電灯に照らされた森を通して描いている。

忍び込んだ手付かずの古城の中では、もう使われていないシャンデリアを無意識に寝そべりながら懐中電灯で照らしていた。

そして祖父のコレクションの時計を何度もバラして、何度も組み直した。
動かない時計を作り出すのが好きだった。

人の抜け殻のようなvintageのジャケット。
確かにそこにいた人の痕跡を辿って気配を感じて服を通して人を描いた。

標本箱の昆虫やドライフラワー。
永遠の美しさを手に入れた昆虫や花を作品に焼き付けて生を感じた。

子供の頃に住んでいたジャズクラブの屋根裏。
演奏が始まると、寝ている私の横の壁に踊るように照らされていた管楽器の影。

時が経って自分が経験した気になっている好きな音楽、映画、小説、漫画、写真、他者の作品、雑誌、ノイズの中に浮かび上がる映像などは私の偽りの記憶の体験として紙上に再現した。

展示されてるこれらのモチーフは全部バラバラで時間的な脈絡はない。

これらのモチーフのすべては、私が、そして鑑賞者の目の端でみていた何気ない日常に出会った私だけが忘れても良い事柄なんだ。

市川孝典

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市川孝典 個展「DELUSIONAL murmur (#003)」

Feb 10 — Mar 10, 2024

Presented by Gallery COMMON 開催終了

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