木村秀樹 個展 − 青磁 ・ 水鳥 −

May 9, 2024 — Exhibition: Solo
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1970年代より現在に至るまで、現代版画における代表的な作家のひとりとして、また画家としても国内外で活動する木村秀樹。この度作家自身4年ぶりの個展を、イムラアートギャラリーにて開催いたします。

木村秀樹は、版画家として鮮烈なデビューを飾った後、主にシルクスクリーン技法で制作しながら、紙、ガラス、キャンバス、と多岐にわたる支持体を駆使し、絵画と版画の融合した作品も発表してきました。1980年代に はシルクスクリーンの技法を用いて、水鳥のイメージを描いた作品「 水鳥のシリーズ 」を制作しています。シリーズの制作休止から約40年の月日を経て、再び「水鳥のシリーズ」に取り組むとき、木村がメディアとして新たに選んだのは「焼き物」でした。

本展では、作品の中心に青磁の水鳥と波紋タイルを据えた、ミクストメディアによる立体作品《Celadon・Lake 翠い湖》、《Celadon・A Water Bird on the Pool》と、青磁の水鳥の写真画像を使用したシルクスクリーン版画作品など、新作9点を展覧いたします。今回の展示構成の主となる「青磁の水鳥と波紋タイル」は、成形に3Dソフトやプリンターを用い、また出力されたプラスチック製の水鳥/タイルを手作業で成形し、その後型取り、粘土を鋳込み、乾燥させ、素焼き、本焼きと、複雑な制作プロセスを経て、完成された作品です。かつて家業であった陶器屋、粟田焼への思いも寄せて制作された新作を、是非ご高覧ください。

作家ステイトメント

<主題「水鳥」について>

それは何気なく組んだ腕の姿が、水鳥のように見える事を、偶然発見した所から始まりました。1980年代の初頭だったと思います。その後、友人たちをモデルにして、意図的に水鳥に見えるようポーズをとってもらい、画像を多々採集するうち、これを使って何か面白い事が出来るのではないかと思い始めました。

1983年~86年にかけて、この水鳥のイメージを使った作品が約30点余り存在しますが、一連の作品群を「水鳥のシリーズ」と呼んでいます。
腕と水鳥のダブルイメージは、両義性のイメージと読み替えることができますが、どっち付かずの、あいまいな、確定不能性のアナロジーとも言えます。この一種のつかみ難さを中核に据える事で起こるはずの、不完全感/未完性感/混乱/いらつき等々の中で行われる制作とは、意外と面白いのではないかと思いついたのです。
 
当初、「水鳥のシリーズ」の制作には写真製版のシルクスクリーン技術の使用を前提としていました。1970年代に試みた、Pencil や Blinder のシリーズを通して得た1つの結論がありました。それは、写真製版のシルクスクリーンを使って印刷されたイメージは、存在として両義的であるという事でした。原寸大に引き伸ばされたPencilのイメージは、虚と実の境界面に揺らぎつつ、物質でもなくイメージでもない、あるいはその両方でもあるような「両義性」を称えつつ存在し続けます。私は写真製版のシルクスクリーンが創り出す、この独特の存在感を「皮膜性」と呼び、その培養にそれ以降の制作の方向性を定めつつありました。
 
水鳥のシリーズの方法論的核は、「両義性=水鳥」を「両義性=シルクの皮膜性」で制作する事。つまり「両義性の二乗」の可能性です。数式に表すなら 両義性×両義性=X となります。Xとは何か? そもそもこの問いに答えを出す事は可能か? もし可能なら、少なくとも、誰も見た事がないシーン/視覚を創り出せるはずでは?このような漠然とした期待がモチベーションでした。

一方、両義性=曖昧さ/確定不能性です。曖昧さの二乗は更に大きな曖昧さとなり、途方もない混乱を生み出すだけではないのか? あり得る予想です。

作品の制作とは建築に似ています。まず基礎となる土台があり、その上に骨組みが置かれ、さらに壁があり、内装外装が施され完成に至るのですが、一貫して求められるものは各プロセスの堅牢な安定性でしょう。しかし、仮に制作過程の一部に、両義性すなわち信頼性の欠如が挿入されていたら? 少なくとも崩壊、瓦解、の危険性に怯え続ける存在である事から逃れられないでしょう。
 
「両義性の二乗」という方法論は、砂上の楼閣ならまだしも、せいぜい仮設の足場を設置するのが精一杯ではないのか? もっともな疑問と言うべきでしょう。がしかし、逆に、私はそこに魅力を感じたのです。
 
完成されるべき構築物/作品が、期待されざる結果しか保証できないのなら、その制作過程には自由が生まれるからです。少なくとも素材の使用制限やスケールの制約からの解放は期待できますし、制作現場はおおいなる実験場と化すはずです。この混乱に乗じて私が目論んでいたのは、作品形式の横断的展開でした。オーソドックスな版画の形式に止まるのではなく、絵画すなわち支持体のキャンバスへの移行や、イメージの立体化すなわちインスタレーションへの展開でした。

「水鳥のシリーズ」は、両義性のイメージ/確定不能性を制作の中核に据えることで生まれる、揺れの中で、思考の諸相を、メディア横断的に検証する事と言えるかもしれません。1983年頃にスタートしましたが、それは、1986年頃一旦休止という形で終わる事になりました。それから約40年の間隔をおいて、メディアを青磁の焼き物に置き換えて、この度の個展に結びついたという訳です。

ここで極私的な事情を書かせて頂きたいのですが、実は私の祖父は明治から大正にかけての時期、京都で粟田焼と呼ばれる陶器の製造に携わっていました。その息子、すなわち私の父は、粟田焼や清水焼の貿易に関わる仕事をしていました。つまり私は陶器屋の息子と言う事になります。美術大学に入学したものの、陶芸にはとんと縁のない半生を過ごしてしまいましたが、ここに来て6歳で死別した父親を思い返す事も多くなり、一度くらい陶器屋の息子らしい作品を作ってみたいと思う様になりました。一連の作品のタイトルに Reunion・絆という言葉を使用した理由の1つには、家族の絆という意味を暗示したかったからです。そしてもう1つは、自身の制作史において、1986年の制作と2024年の制作の間に、絆を確認する事は出来るのか? という興味がありました。

青磁の焼き物は、唯それだけで美しいです。この事に疑問の余地はありません。
ご高覧賜りますよう、お願い申し上げます。

木村 秀樹

EXHIBITED ARTWORKS

EXHIBITION

木村秀樹 個展 − 青磁 ・ 水鳥 −

May 8 — 25, 2024

Presented by imura art gallery 開催終了

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